懸想文

国語講師 吉田裕子のエッセイ、歌舞伎観劇メモ、古典作品や長唄・端唄の現代語訳など

長唄「岸の柳」 歌詞と現代語訳 ”筑波根の姿涼しき夏衣 若葉にかへし唄女が……”

長唄「岸の柳」

 

明治6(1873)年

作詞 柳屋梅彦

作曲 三代目 杵屋正次郎

 

【本調子】 
筑波根(筑波嶺)の姿涼しき夏衣
若葉にかへし唄女が
緑の髪に風薫る柳の眉のながし目に 
その浅妻をもやひ船
君に近江(掛詞:逢ふ身)と聞くさへ嬉し
しめて音締めの三味線も 
誰に靡くぞ柳橋
糸の調べに風通ふ
岸の思ひもやうやうと届いた棹に 

 

【三下り】 
家根船(屋根船)の簾(すだれ)ゆかしき顔鳥を
好いたと云へば好くと云ふ 
鸚鵡返しの替唄も
色の手爾葉(てには)になるわいな
しどもなや

 

【本調子】 
寄せては返す波の鼓(つづみ)
汐のさす手も青海波(せいがいは)
彼(か)の青山の俤(おもかげ)や
琵琶湖をうつす天女の光り 
その糸竹の末長く
護り給へる御誓ひ
げに二つなき一つ目の
宮居も見えて架け渡す
虹の懸橋両国の
往来絶えせぬ賑ひも
唄の道とぞ祝しける

       (歌詞は三味線文化譜から)

 

 現代語訳

 

【本調子】

夏の筑波山の眺めは涼しげで
ここ両国・柳橋の芸者衆も
見た目に涼しい単衣(ひとえ)の着物に衣替え

 

若葉色の単衣に着替えた芸者は
つややかな緑の黒髪と
さわやかな柳の眉で
流し目で船に乗る様は
まるで近江・琵琶湖の浅妻船の風情だね

 

「近江(おうみ)といえば、
君に逢う身(おうみ)と聞くのも嬉しい」とは
しっかりと音締めの良い三味線を鳴らす姉さんが
柳橋の柳のように
誰になびいているのかしらん

 

三味線の調べのなか風が吹き
岸にいる男の想いもやっと棹の先に届いて

 

【三下り】

屋根船のすだれ越し
顔も気になる美しい人を
好きだと言えば好きだと返す
鸚鵡返しの替手のように
色恋の基本通り
あら困ったことで

 

【本調子】

寄せては返す波の音はまるで鼓
汐の姿もちょうど青海波の舞のようで
三味線の音色はあの青山の琵琶を髣髴とさせ
琵琶湖に輝く弁財天の光を思わせる
その演奏は末永く世をお守りくださるご誓願

 

弁財天といえば
実にまたとない
本所一ツ目弁財天の宮居も見えるところに
掛け渡される虹の曲線の両国橋のあたり
往来の絶えない賑わう道も
唄の道の栄華のようと祝い事を言おう

 


長唄・岸の柳 花柳園和香

授業で『羅生門』を扱ったから感想を140字で書いてみた

タイトルの通りです。

 

一通り読んだ後、生徒達に感想を書いてもらおうことにしたのですが、あまり字数を多くすると、そのマス目を埋める方法論のほうに意識が向きそうな気がしたんです。

 

作文術を見たいというよりは、イマの高校生の率直で素朴な感想を聞いてみたいと思い、140字制限で、感想文を書いてもらうことに。

 

そこで、自分自身も140字感想文を書いてみることにしました。

 

 

鎌倉三代記 絹川村閑居の場あらすじ・名ぜりふ 時姫(歌舞伎の三姫の一人)の決心

あらすじ

北条時政坂本城攻めを開始した。一方、時政の娘・時姫は、坂本方の若武者の三浦之助義村と許嫁であって、絹川村で暮らす三浦の老母・長門をかいがいしく世話している。早くも嫁としての意識を強く持ち、時政からの使者が迎えに来ても戻らない。

 

戦場から抜け出してきた三浦は、母に一目会おうとするが、母は、その甘さを嫌って会おうとしない。時姫は三浦に会えたことに感激するが、敵将の娘である時姫に三浦は冷たい。戦場にすぐ戻ろうとする三浦を引き留めるが、「自分の妻となりたいなら、時政を討て」と言われ、時姫は父を討つことを決心する。

 

その後、時政からの使者の一人・安達藤三郎が、実は坂本方の佐々木高綱であることが明かされる。全ては、時政暗殺を目論む三浦と高綱の計略だったのである。奮起した時姫に手柄を挙げさせるため、彼女の槍先に自ら刺さる形で、長門は自害する。

 

既に手負いの三浦は戦場へ、時姫と高綱は鎌倉へ向かう。


印象的な名ぜりふ ※部分は現在上演の少ない箇所

※【語り】錦閨の花の時姫も、時に連れ添う夫ゆえ、前垂れ襷かけ徳利 

 

※【時姫】[迎えに来た讃岐の局・阿波の局に対し]たびたび父上よりお召しあれど、姫御前は夫の家を家とせよと、つねづねの仰せを守る自らに、今更帰れとは、父上の詞とも覚えず。殊に姑御のお煩い、御介抱の暇なければ、再び鎌倉へ帰る心はないわいの。その通り申し上げてたも、大儀大義。

 

長門】[訪ねてきた三浦に対し]その未練な伜が有様、なんと夫に話さりょう。最早この世で顔合わす子は持たぬぞ。この障子が内は母が城郭、そのうろたえた魂で、薄紙一重のこの城が破らるるなら破って見よ。

 

【時姫】コレのう、折角顔見た甲斐ものう、もう別るるとは曲もない。親に背いて焦がれた殿御、夫婦の堅めないうちは、どうやらつんと心が済まぬ。

【語り】短い夏の一夜さに、

【時姫】忠義の欠ける事のあるまい。

 

【藤三郎】お前の大切に思わっしゃれます三浦どのは、今日明日のうちに首がころりじゃ。(中略)ハハア、さてはお前はアノ首のない男が好きじゃな。マア、如何に下(しも)の方が肝心じゃてて、胴ばかりを抱いて寝ようとは、胴欲な御心地、御免御免。

 

【時姫】[父のもとに連れ帰されるなら、自害した方が良いと決心して]恨めしい父上様。

【語り】明日を限りの夫の命、疑われても、添われいでも、思い極めた夫は一人。

【時姫】あの世の縁を三浦様。

 

【三浦】落ちつく道はたんだ一つ。返答はなんとなんと。

[【語り】思案は如何にとせりかけられ、どちらが重い軽いとも、恩と恋との義理詰めに、詞(ことば)は涙もろともに。]

【時姫】成程討って見せましょう。

【三浦】スリャ、北条時政を。

【時姫】北条時政、討って差し上げましょう。

 

【時姫】親を捨て命を捨て、主に従うは弓取りの道、夫に随うは女の操。不孝の罰の当たらば当たれ。夫ゆえには、幾奈落の責苦を受くとも厭うまじ。父の陣所に立ち帰り、仕畢(しおお)せてお目にかきょう。一念通るか通らぬか、女の切先(きっさき)試みん。

 

劇評家のコメント

この時姫は、歌舞伎の方では「廿四孝」の八重垣姫、「金閣寺」の雪姫とともに「三姫」の一つに数えられる大役であるが、北条の息女でありながら敵方の三浦之助の妻となってかしずき、夫に父を討てと命ぜられ、恩愛の板ばさみとなって苦悩するという、性根のむずかしさは、八重垣姫や雪姫とも共通する。(戸板康二、名作歌舞伎全集)

 

参考リンク

blog.goo.ne.jp

www.kabuki-bito.jp

鎌倉三代記 - Wikipedia

 

なお、このあらすじ・名ぜりふは次の本をもとに制作しています。(せりふの繰り返し記号部分は書き改めています。)

名作歌舞伎全集〈第5巻〉丸本時代物集 (1970年)

名作歌舞伎全集〈第5巻〉丸本時代物集 (1970年)