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懸想文

国語講師 吉田裕子のエッセイ、歌舞伎観劇メモ、古典作品や長唄・端唄の現代語訳など

錦秋名古屋顔見世@日本特殊陶業市民会館 中村吉右衛門さんらが「俊寛」「松浦の太鼓」ほか

「錦秋名古屋顔見世」の千穐楽にお邪魔してまいりました。
 
今回1番のお目当ては、吉右衛門さんの「俊寛」でした。本公演だけで10回以上演じていらっしゃる当たり役ですが、東京で今後、演じてくださるかどうかは未知数。「見逃すわけにはいかない!」と、東京から駆け付けました。
 
 

 

 

「顔見世」(と銘打つとき、一般的な上演よりも豪華な顔ぶれでお送りするのが慣例)というには、少し役者さんが少ないようにも感じたのですが、その分、中村歌六さん・中村錦之助さん・中村又五郎さん・中村芝雀さんが、何役も何役も演じられての大活躍。一つ一つが素敵なお芝居で、「いいもの見たなぁ」と思って帰ることができる興行でした。

 

 

お米の会歌六さんや米吉さんの後援会)に入るほど、中村米吉さんが大好きなので、彼の出番が昼の部「松浦の太鼓」だけだったのは、少し残念でしたが……

今後に期待が膨らみます^^
 
さて、先程、書いたように今回、私が遠征を決めたのは、二代目 中村吉右衛門さんの「俊寛」をぜひ見ておきたいと思ったからですが、やはり、見に行って良かったです。
 
「俊寛」のラストシーンは人によってやり方が違うといいますが、私はこの日、播磨屋さんの俊寛を目撃することができたわけです。ちょうど次の日、大阪平成中村座中村橋之助さんの俊寛を見たので、いっそう、吉右衛門さんならではのやり方はこうなんだな、というのが印象に残っております。
 
その方針がうかがえる言葉を、筋書から引用。
 
俊寛のような都人にとって絶海の孤島に取り残されるのは死を意味します。生の可能性を象徴するのが赦免船で、それが次第に遠ざかっていきます。例え自分から望んだことであっても人間ですから、悔いは残ると思うんですよね。

 

悔いをはじめは「動」で表現する。それが「静」にいたって、最後は石になるイメージなのだといいます。

 

 

大向こうが過剰だったことはともかく、「俊寛」に関しては、二階席から見たほうが良いかもしれない、と感じました。その方が、舞台一面が海になって、俊寛が取り残されているさまが視覚的に実感できます。あの絵面は忘れることができません。