懸想文

国語講師 吉田裕子のエッセイ、歌舞伎観劇メモ、古典作品や長唄・端唄の現代語訳など

八代目中村芝翫 襲名披露(現:中村橋之助)記者会見の文字起こし(衛星劇場放送内容の全文)

中村橋之助さんが2016年10月、八代目中村芝翫を襲名されるということで、9月28日、コートヤード・マリオット銀座東武ホテルで記者会見が開かれました。

 

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その模様は各媒体の記事で紹介されましたが、その映像(挨拶を全部、質疑応答1つ)が衛星劇場で流れておりましたので、全文文字起こしにチャレンジしてみました。

 

中村橋之助さんあいさつ

 

来年10月・11月の歌舞伎座をはじめといたしまして
私ども成駒屋にとりましては、大事に大事にいたしております、
中村芝翫の名跡を八代目として襲名させていただくことと相成りましてございます。
それにまた重ねて、
長男国生が中村橋之助
次男宗生が中村福之助、
三男宜生が中村歌之助、
まあ親子四人でこうして襲名させていただけますること、
本当に誠にありがたく、感謝、感謝、感謝でございます。

 

私どものこの成駒屋といううちは、
歌右衛門芝翫福助、児太郎と、
この名跡でして、あまり、他の家と比べると、
名跡の少ないうちでございました。
まあそういった中、私も年ごろになりました中学三年生の時、15歳の時に、
六代目の歌右衛門のおじさまのおすすめにより、
私のひいおじさんの五代目歌右衛門の四十年祭にあたり、
中村橋之助という名跡を継がさせていただきました。
私の前の橋之助は、現魁春のお兄さんが名乗られたお名前でございます。

 

その昭和55年から35年間、この名跡を継がさしていただきまして、
途中ではそういった中で、うちの兄が児太郎から福助の名跡にかわり、
また、同輩の皆様がどんどん名跡がかわっていく中で、
あれ、もしかしたら僕は一生橋之助でいるのかな、とか、
いろんなことを試行錯誤して考えた時期もございました。

 

しかしながら、先年亡くなりました父・七代目芝翫
皆様もよくご存知の通り、
息子がこういうことをいうのもなんでございますが、
大変に折り目正しい厳格な父でございました。
その父が亡くなったのは十月ですけど、
八月の末に私を呼びまして、
何か叱られるのかな、夫婦揃って参りまして、
「何かお小言を受けるのかな」と思いましたら、
うちの父親が、
「何かこの頃世の中では遺言ということを
 言っとくことが良いらしいんだよ」
という話をして、僕は急に何を言い出すのかなと、
「パパさんそんなことはもうやめてくださいよ」
って申し上げましたら、
「いいんだ、いいんだよ、ちょっと黙って。
 とにかく俺が言いたいことがあるから聞いてくれよ」

 

まず最初に言ってくれたことが、
うちの父が僕たちに深々と頭を下げて、
「兄弟家族、仲良くいてくれることが、パパが一番これはうれしいことだ。
もしパパがいなくなったら、兄弟家族が仲悪くならないように、
いつまでも、成駒屋という老舗を兄弟で手を携えて守って欲しい」
ということを言いました。

 

そのときにまあ遺言として、
もちろん、うちの兄が歌右衛門家を相続するということ、
そして、私のことになりまして、
お前には、八代目の芝翫を継いでもらいたいということ、
私の手を握って、目を見つめて、
あんなに父親の目を凝視して見たのは、
生まれて初めてなんではないかなと思うぐらい、
父の目を見てしゃべった話でございます。

 

そのときに、
「あ、僕は芝翫という名前を許されていい人間なんだ」
と、とてもなんかワクワクした思い出がございます。
「パパが一生かけて芝翫を名乗って、
 この名前を大きくして、
 それをお前にあげるよ。」
って言ってくれた言葉がすごく心に響いております。

 

どうかどうか、この八代目中村芝翫橋之助、福之助、歌之助、
襲名興行一年間にかけて、が、これがどうにか成功して無事につとまりますよう、
どうかどうか皆様、お力をお貸しくださいませ。
また、襲名が終わった後も、どうかどうかこの、
歌舞伎という素晴らしい演劇をご愛顧くださいますよう
どうぞどうぞよろしくお願いいたします。

 


中村国生さんあいさつ

 

このたび皆様方のおかげをもちまして、
父が名乗っておりました橋之助の名跡を襲名させていただく運びとなりました。
父が十五歳から三十五年かけて、
大きく立派にしてきたこの名前を
この年で継がせていただくことを、
大変ありがたく思っております。
父が大きく立派にした以上に、
大きく立派な橋之助にして、
胸を張って「中村橋之助です」といえる、
そんな役者になりたいと思っております。

 

僕の夢は、成駒屋という老舗を守り、
兄弟三人で将来、歌舞伎座の大看板になりたいと思っています。
実は昨日、三人で夜、会議をしまして、
そのときに僕たちのこれからの合言葉を決めようということで、
三人兄弟という強みを生かして、
毛利元就の三本の矢のように、
三人で手を携えて頑張ろうということを決意しました。
毛利元就の三本の矢は一本では折れてしまうとありますが、
僕たちは一人一人が立派な役者になって、
三本になったとき、つまり、
三人で手を携えて頑張ろうってなったときには、
誰にも負けない世界一のチームワークをもって、
そんな役者になりたいな、と。

 

今、ものすごく興奮しています。
まだ未熟で、これからいろいろ勉強していきますので、
どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

中村宗生さんあいさつ

 

このたび、中村福之助という名跡を
三代目として襲名させていただくことになりました。
とてもうれしい気持ちでいっぱいなんですが、
身を引き締めなくてはならないなという思いが強くなってきました。
まだまだ未熟者ではございますが、
精一杯努力をして芸道に精進していきたいと思いますので、
よろしくお願いします。

 

中村宜生さんあいさつ

 

中村宜生です。
このたび四代目として中村歌之助の名跡を襲名することになりました。
小さいころから兄たちとお芝居ごっこをやっていたのから始まって、
こうして親子で四人で襲名をさせていただくということは、
本当にうれしいことだと思っています。
僕は何も分かっていませんが、この襲名を通して、
もっともっと芸道に精進していきたいと思っておりますので、
よろしくお願いいたします。

 

 

橋之助さんQ&A
【四代目以来の立役の芝翫になるということについて】

 

あのー、本当の立役っていうのは、
僕の憧れる四代目芝翫以来でございまして、
その後の五代目芝翫、後の五代目中村歌右衛門は、
両方兼ねて役をやっておりました。


しかしながらうちの亡くなった父からも、
よく四代目の話を聞いたりだとか、
書籍でいろいろ読ましていただいて、
すごく読むと、こんな、なんていうんですかね、
天真爛漫、というか、変わったというか、不思議な方はいないというか、
本当になんか、それを読むだけでも、規格外だな、と。


そういうような大きい役者に近づくことも大事ですし、
数知れないこれからいろんな当たり役であったり、
芝翫しか演じていないものがあったり出てきたりすると思うんですね。


つい一週間ぐらい前なんですけど、
私どもの父の実家の書庫を調べておりましたら、
うちの母がたまたまこれも見つかったんですけど、
芝翫の、全部当たり役が書いてあったりする書物も、
もう手がちょっとかゆくなってしまうかなと
思うような書籍も見つかりましたんで、
そういうことも現代に蘇らせるというのも、
これからの僕の使命であるかなと思っております。

 

本当に今まで橋之助だから何もやらなかった
ということは決して決してないんですけど、
芝翫を継ぐにあたって、
これからいろんなこと、
もちろん古典を守るということも大事ですけど、
これからの新しい歌舞伎というものにも、
どんどんどんどん挑戦したり、
垣根を超えていろんなものを挑戦していただく、という、
そういう場を与えられたら嬉しいと思っております。

 

 

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