懸想文

国語講師 吉田裕子のエッセイ、歌舞伎観劇メモ、古典作品や長唄・端唄の現代語訳など

俊寛(歌舞伎 近松門左衛門『平家女護島』より) 見どころ、あらすじなど

「平家女護島」の二段目「俊寛」は、鹿ケ谷での平家打倒の企てが露見し、鬼界ヶ島に流された流人たちを描いた作品です。三人の流人の内、俊寛一人が島に残される、その悲劇が作品の主眼です。


平家物語』や能の「俊寛」をもとに書かれた、近松門左衛門による人形浄瑠璃の作品で、1719年(享保4年)に大阪竹本座で初演されました。翌1720年には早速、歌舞伎に移されています。

浄瑠璃が歌舞伎となる場合、大幅に手が加えられることもありますが、「俊寛」の場合は概ね、近松の原作を生かした作品に仕上がっております。

二段目「俊寛」以外の場面が上演されることはまれです。

 
初代中村吉右衛門や13代目片岡仁左衛門、17代目の中村勘三郎らの当たり役だった「俊寛」。国内はもちろん、海外公演でも繰り返し上演されております。1965年(昭和40年)17代目中村勘三郎のヨーロッパ公演では、パリのオデオン座でも好評を博したそうです。その際、勘三郎が「さすがナポレオンの国ですね、島流しの芝居が喜ばれました」と言ったそうです。

また近年亡くなりました18代目の中村勘三郎は、鬼界ヶ島のモデルとされる、硫黄島でも「俊寛」の公演を2度行っております。
 

硫黄島(いおうじま)、東京都に属する小笠原諸島の硫黄島(いおうとう)とは別物。鹿児島県三島村に属し、薩摩半島の南、屋久島の北にありまして、現在の人口は100人ほど。奄美大島の東にある喜界島だと推定する説もあり、どちらの島にも俊寛の像がたてられております。
 


歌舞伎「俊寛」を見るにあたって、ぜひ注目していただきたい点が3つあります。
 
一つ目は、音の世界です。

「俊寛」は人形浄瑠璃をもとにした義太夫狂言と呼ばれる作品です。幕が開くと、舞台向かって右、上手には語り手の太夫と三味線、竹本連中がおります。竹本の三味線は太棹、ベンベンと迫力のある音が出ます。その伴奏に合わせ、時に演者と掛け合いながら、太夫は物語を語るのです。冒頭、重厚に語る「元よりも此の島は鬼界ヶ島ときくなれば鬼ある処にて今生よりの冥土なり」、また、終盤、俊寛の葛藤を表現した「思い切っても凡夫心」など、竹本の聴きどころの多い作品です。

一方、舞台向かって左、下手には、格子状の窓があり、簡単な簾がかかっております。そこに演奏者がおりまして、舞台の進行に合わせ、BGMや効果音を奏でるわけです。黒御簾音楽あるいは下座音楽と言い、オペラのオーケストラピットのようなものです。海辺を舞台とする「俊寛」で良く聞こえてくるのが、「ドンドンドンドン……」という大太鼓。波音をあらわしています。また、三味線の「千鳥」の合方という旋律も、演奏する速さや雰囲気を変えながら度々登場します。
 

二つ目にご注目いただきたいのが、千鳥という島の海女です。これは、近松版「俊寛」のオリジナルキャラクターであり、この作品に登場する唯一の女方です。流人の一人、少将成経に見初められ、夫婦となります。成経を思う、健気な女性で、おおよそ「可愛がってくださいませ」という意味の「りんぎょぎゃってくれめせ」という薩摩弁が素朴で愛らしいのです。

物語後半、千鳥は船に乗せてもらえず、ひとり取り残されますが、この嘆きのシーンは、千鳥をつとめる役者の大きなしどころです。
 

三つ目の注目ポイントは、主役である俊寛。先代八代目の松本幸四郎などは、俊寛は役者としては最後にすべき役だと言っておりました。近松門左衛門版の「俊寛」は、俊寛の人間像に1番の特徴があります。『平家物語』の俊寛はあまり感心のできない人柄として描かれておりました。「心たけくおごれる人」であって、信仰心に欠ける人物である点が強調されています。彼ひとりが島に残されたのも当然だという感じ、実に、「因果応報」を旨とする『平家物語』らしい筆で書かれているわけです。

それがお能になりますと、俊寛は、温和な性格になります。それだけに、一人きり島に取り残されてしまうことの悲劇性が強調されております。

それらの先行する作品から、大きな筋を受け継ぎつつも、近松は、新たな俊寛像を形成します。近松版俊寛は「自ら覚悟を決めて島に残る」俊寛なのです。

そこには、先ほどご紹介した千鳥というキャラクターが関係します。俊寛は、千鳥を成経とともに都に行かせてやるために、自ら島に残るのです。

しかし「思い切っても凡夫心」。自分の意思で残ったはずなのに、いざ船が島を離れると、猛烈な寂しさに襲われます。そのシーンをどう見せるか。初代中村吉右衛門は「悲しむ余裕のない程で、唯茫然自失し、人間の抜殻の様になって見送る事に致しました」と言っております。一方、近年俊寛をつとめることの増えた当代の中村橋之助は、「またまだ熱くて、魂の燃えるようなところが残っている人物でないといけないと思う」と。

幕切れ、役者それぞれの解釈を見ていただければと思います。


それぞれの解釈ということで、ひとつ、歌舞伎から離れて余談を申しますと、大正時代に劇作家 倉田百三、小説家の菊池寛芥川龍之介が競うようにして、俊寛を題材とした作品を発表しております。三者三様の俊寛像でして、例えば、『文藝春秋』や芥川賞を始めた菊池寛の描いた俊寛は、取り残された後、島の女性と結婚、五人の子宝にも恵まれて幸せに暮らしております。この3作を読み比べていただくのも、なかなか楽しいのではないでしょうか。