好きな古典和歌3首と自詠3首
第二十二回 文学フリマ東京(2016.5.1 流通センター)に出店してまいりました。
明日5/1(日)11時〜は文学フリマ@流通センター。セ-06で出店します。「山月記外伝」「こころ後日談」という二次創作2編を収めた『精選現代文 迷作編』(200円)と、短歌の本『裕泉』(100円)を作りました。古典の会の年報も^ ^ pic.twitter.com/Huu5LDVyzn
— 吉田裕子 * 5/1は文学フリマ (@infinity0105) 2016年4月30日
文フリは5時までですが、仕事の兼ね合いで間もなく撤収するので、記念写真。1部も売れない恐怖に怯えながら出店しましたが、幸い『精選現代文 迷作編』を中心に20部ほどお求めいただきまして♪ お知り合いと複数お会いできたのも嬉しい(^^) pic.twitter.com/Mh4iydShcJ
— 吉田裕子 * 5/1は文学フリマ (@infinity0105) 2016年5月1日
自スペース・チラシ置場にて配布しておりましたチラシに載せた文章をこちらにも転載いたします。
私の好きな、透明感のある和歌 3首
あなたが薄情なものだから、あなたを恋しく思う心は千々に砕けているけれど、恋心は、ただの一欠片もなくならないものですよ。
恋多き和泉式部ですが、彼女の詠む恋歌はとてもみずみずしく、透明感があります。この歌の「恋ふる心」も、ガラスを思わせますよね。
今となっては無理に忘れようとしている昔のことを、思い出しなさい、とばかりに、澄んでいる月の光。
◆西行「ゆくへなく月に心のすみすみて果てはいかにかならむとすらむ」(『山家集』353)
月を見ているうちに、あてもなく心が澄みに澄んでいく。果てには、私の心はどうなろうとしているのだろうか。
入り組んだ題詠歌である「百人一首」の「嘆けとて月やは物を思はするかこち顔なる我が涙かな」とは違った、実感の歌です。月のルナティックな側面を思わせます。
気に入っている自詠
『裕泉 2016.5』に収めた中から気に入っているものを抜き出しました。
◆たらちねの母にならずはこの命 徒(あだ)ならんやは 空を仰ぎつ
(「母」にならないのであれば、私の命は無駄なものだろうか、いや、そうではないと信じたい。空を見上げた。)
◆ひさかたの天(あま)の星々こぼれけり 右も左も秋の鈴の音
(きっと、天の星々がこぼれたんだなぁ。歩く道の右にも左にも、秋の虫の声が鈴のように鳴り響いているよ。)
◆博愛の「は」の字も持たぬあの人の愛してやまぬ我でありたし
(人の好き嫌いが激しくて、博愛とは程遠い恋人の、愛してやまない私でい続けたいものです。)