三人形(歌舞伎舞踊、常磐津)の歌詞
三人形(みつにんぎょう) 世界大百科事典 第2版
歌舞伎舞踊の曲名。常磐津。三変化所作事《其姿花図絵(そのすがたはなのうつしえ)》の一曲。1818年(文政1)3月江戸中村座初演。作詞2世桜田治助,作曲岸沢右和佐。振付初世藤間勘十郎。演者は3世坂東三津五郎,中村芝翫(のちの3世中村歌右衛門),5世岩井半四郎。江戸吉原仲の町で,丹前武士,丹前奴,傾城の3人が踊る。この3人の華美な風俗を人形に見立てて呼んだ作品で,古風な丹前ぶりが特徴。【如月 青子】
〽昔を今に筆の跡、今を昔の風流に、
よくも写して俳優(わざおぎ)に、
真似た土佐絵の出立ち栄え、
極彩色もかくやらん。
(上手に丹前、真ん中に傾城、下手に伊達奴。元禄風のこしらえでせり上がる。)
〽花前に蝶舞う紛々(ふんぷん)たる、
雪か桜の山ならで、
豊芦原(とよあしはら)と粋な世に、
世辞で固めて手くだでついて、
わけ吉原と夕暮に、
よしや男と名も立髪の、
腰巻羽織大小も、
白きを伊達な富士筑波、
紫匂う置頭巾、
東丹前寛濶(かんかつ)に、
出立つ出立つその風俗も、
それさそれさそんじょ夫(それ)さまに見しょうずもの、
やれやれ、様が六方振りなら、振りなら、
やっちゃして込め、よんやサ。
(傾城出る)
〽道のほとりの二本柳(ふたもとやなぎ)、
風に吹かれてどちらへなびく、
思う殿御の方へなびこよな、
往(ゆく)さ来るさの恋の仲の町。
(丹前・奴が自分をアピールするような台詞を言った後、廓(曲輪)の由来を語り始める)
〽庄司甚内(しょうじじんない)御免を受け、
初めて廓を立てられたり、
廓とは御客の来る故に、
和すやわらぐの心にて、
廓とこそは名乗りたり。
(傾城「ホホ大尽舞を見イさいな。その次の大尽」)
〽禿が肩に山寺を、
諷(うら)うやぼ赤さんが、
あか旅人の井もいてとけて、
春風誘う土手ぶしも、
合の手残るすががきに、
一夜明くれば松飾り、
軒の月床し、
芸子揃いの唄の声、
あいの押えの拳酒(けんざけ)に、
一けん二つ、三なん四つの相の手に、
五つリウチエエこいの、
大酒にしょんがいな。
(奴出て)
〽障子明ければ、
差し込む夏の月涼し、
灯すまいぞえ蝋燭を、
闇になったらとぼそぞえ、
一丁も二丁も三丁も、
四丁も五丁も六梃も、
オヤどうしょうぞいな、
エエ蝋燭をしょんがいな。
てんてつとんと打ち込んで、
こちは馬道、跡にもお武家、
我らおしきかヤレコレちっくり、
アイタシコ、面白や。
(三人、うちわ太鼓を持ち、振り合って、傾城・丹前、前へ出て)
〽人の心を汲みて知る、
浅草川の早き小舟は、
浮気の浪に打ち寄する、
首尾という字のうつつなき、
誓文誓文、埒も乱れて、
忘れ草の一花(ひとつばな)、
心へ憎いこと聞いた、
夜すがらも、それも御身のたのしみなれば、
よしそれとても歌にさえ、
誠尽くして神かけて、
儘(まま)になる日をいつかはと、
待つに曲輪の憂き勤め。
(傾城振りあって、奴出て)
〽見るに奴は口あんごり、
おららもこれから彼めがところへ、
イヤ待て暫し、
わが心、猶も心の浮かるる所は何処だんべえ、
ここだんべえ、
今町の茶屋衆のよね衆は、
つるつるりんでんでんでん、
網を曳く、柏崎とよあら浜宮川、
漁師の根元(こんげん)、
さってもすなどり面白や。
(また三人になり)
〽サアサア面白くなって参りました。
イヤとても遊ぶならこんなんめり、
浮世の憂さの捨所、
太鼓末社が、手を揃え、
さんさ時雨か、
茅野の雨にトウ来ましてドン。
音もせで濡れかかる、
しょんがいな、トウ来ましてどん、
せて来てナア、
せて来て様(さま)よ、
エエせいて来る濡るるかしょんがいな、
酒に浮き立つ水鳥を
かりにし曲に引き連れて、
喜見城(きけんじょう)なる楽しみは、
風情ありける次第なリ。
(三人よろしく居並び、頭取出て「先ず今日は是ぎり」。)