鎌倉三代記 絹川村閑居の場あらすじ・名ぜりふ 時姫(歌舞伎の三姫の一人)の決心
あらすじ
北条時政は坂本城攻めを開始した。一方、時政の娘・時姫は、坂本方の若武者の三浦之助義村と許嫁であって、絹川村で暮らす三浦の老母・長門をかいがいしく世話している。早くも嫁としての意識を強く持ち、時政からの使者が迎えに来ても戻らない。
戦場から抜け出してきた三浦は、母に一目会おうとするが、母は、その甘さを嫌って会おうとしない。時姫は三浦に会えたことに感激するが、敵将の娘である時姫に三浦は冷たい。戦場にすぐ戻ろうとする三浦を引き留めるが、「自分の妻となりたいなら、時政を討て」と言われ、時姫は父を討つことを決心する。
その後、時政からの使者の一人・安達藤三郎が、実は坂本方の佐々木高綱であることが明かされる。全ては、時政暗殺を目論む三浦と高綱の計略だったのである。奮起した時姫に手柄を挙げさせるため、彼女の槍先に自ら刺さる形で、長門は自害する。
既に手負いの三浦は戦場へ、時姫と高綱は鎌倉へ向かう。
印象的な名ぜりふ ※部分は現在上演の少ない箇所
※【語り】錦閨の花の時姫も、時に連れ添う夫ゆえ、前垂れ襷かけ徳利
※【時姫】[迎えに来た讃岐の局・阿波の局に対し]たびたび父上よりお召しあれど、姫御前は夫の家を家とせよと、つねづねの仰せを守る自らに、今更帰れとは、父上の詞とも覚えず。殊に姑御のお煩い、御介抱の暇なければ、再び鎌倉へ帰る心はないわいの。その通り申し上げてたも、大儀大義。
【長門】[訪ねてきた三浦に対し]その未練な伜が有様、なんと夫に話さりょう。最早この世で顔合わす子は持たぬぞ。この障子が内は母が城郭、そのうろたえた魂で、薄紙一重のこの城が破らるるなら破って見よ。
【時姫】コレのう、折角顔見た甲斐ものう、もう別るるとは曲もない。親に背いて焦がれた殿御、夫婦の堅めないうちは、どうやらつんと心が済まぬ。
【語り】短い夏の一夜さに、
【時姫】忠義の欠ける事のあるまい。
【藤三郎】お前の大切に思わっしゃれます三浦どのは、今日明日のうちに首がころりじゃ。(中略)ハハア、さてはお前はアノ首のない男が好きじゃな。マア、如何に下(しも)の方が肝心じゃてて、胴ばかりを抱いて寝ようとは、胴欲な御心地、御免御免。
【時姫】[父のもとに連れ帰されるなら、自害した方が良いと決心して]恨めしい父上様。
【語り】明日を限りの夫の命、疑われても、添われいでも、思い極めた夫は一人。
【時姫】あの世の縁を三浦様。
【三浦】落ちつく道はたんだ一つ。返答はなんとなんと。
[【語り】思案は如何にとせりかけられ、どちらが重い軽いとも、恩と恋との義理詰めに、詞(ことば)は涙もろともに。]
【時姫】成程討って見せましょう。
【三浦】スリャ、北条時政を。
【時姫】北条時政、討って差し上げましょう。
【時姫】親を捨て命を捨て、主に従うは弓取りの道、夫に随うは女の操。不孝の罰の当たらば当たれ。夫ゆえには、幾奈落の責苦を受くとも厭うまじ。父の陣所に立ち帰り、仕畢(しおお)せてお目にかきょう。一念通るか通らぬか、女の切先(きっさき)試みん。
劇評家のコメント
この時姫は、歌舞伎の方では「廿四孝」の八重垣姫、「金閣寺」の雪姫とともに「三姫」の一つに数えられる大役であるが、北条の息女でありながら敵方の三浦之助の妻となってかしずき、夫に父を討てと命ぜられ、恩愛の板ばさみとなって苦悩するという、性根のむずかしさは、八重垣姫や雪姫とも共通する。(戸板康二、名作歌舞伎全集)
参考リンク
なお、このあらすじ・名ぜりふは次の本をもとに制作しています。(せりふの繰り返し記号部分は書き改めています。)