芥川龍之介『俊寛』の読書メモと、その背景にある「俊寛もの」の蓄積
10月の錦秋名古屋 顔見世でも、10月末からの平成中村座でも、『平家女護島 俊寛(へいけにょごがしま)』が上演されることが発表された。
俊寛への関心が高まっていた中で、芥川の短編集に『俊寛』という作品が収められていることに気付いた。
これは、大正九年三月『白樺』に発表された『俊寛』(倉田百三)、同じく十年十月『改造』に発表された『俊寛』(菊池寛)に対抗して書かれたものだと見られている。(芥川の『俊寛』は大正十一年一月に『中央公論』に発表された。)
実際に起きたこと
→ 『愚管抄』などの史料
→ 能『俊寛』
→ 近松門左衛門『平家女護島』
→ 歌舞伎に移された『平家女護島』
それが書かれるまでには、こうした、「俊寛もの」の伝統があった。 そうした蓄積を踏まえた上で、三人は、三者三様に解釈を加え、自分なりの『俊寛』を綴ったのである。芥川の描く俊寛は、菊池寛が生み出した俊寛像に近い。島での生活を受け容れて、隠者の風情である。
読み比べたら面白いと思うので、青空文庫のリンクを貼っておく。
芥川龍之介『俊寛』「源平藤橘、どの天下も結局あるのはないに若かぬ。この島の土人を見るが好い。平家の代でも源氏の代でも、同じように芋を食うては、同じように子を産んでいる。天下の役人は役人がいぬと、天下も亡ぶように思っているが、それは役人のうぬ惚れだけじゃ」
— 吉田裕子(国語講師) (@infinity0105) 2015, 8月 22
芥川龍之介『俊寛』「所詮人界が浄土になるには、御仏の御天下を待つ外はあるまい」
— 吉田裕子(国語講師) (@infinity0105) 2015, 8月 22
芥川龍之介『俊寛』「(流罪先の鬼界が島に妻子のある成経は)始終蒼い顔をしては、つまらぬ愚痴ばかりこぼしていた。たとえば谷間の椿を見ると、この島には桜も咲かないと云う。火山の頂の煙を見ると、この島には青い山もないと云う。何でも其処にある物は云わずに、ない物だけ並べ立てているのじゃ」
— 吉田裕子(国語講師) (@infinity0105) 2015, 8月 22
芥川龍之介『俊寛』。赦免の下った成経が、残酷にも妻子を棄てて都に戻っていく。憤りを覚え、抗議をした俊寛。船が去っても泣き伏したままの成経の妻を起こしてやろうとすると、彼女は俊寛を張り倒す。他人が、自分のことで勝手に正義や感傷を抱いてくることへの拒絶にも思われて何だか痛快だった。
— 吉田裕子(国語講師) (@infinity0105) 2015, 8月 22