懸想文

国語講師 吉田裕子のエッセイ、歌舞伎観劇メモ、古典作品や長唄・端唄の現代語訳など

数十万円のライザップ申し込みを決心するまで

「カラーバス(color bath)効果」というものを皆さんはご存知だろうか。

 

「今日は赤を意識しよう」などと決めて一日を過ごすと、色が切り口になって、日ごろ注意していなかったものが、次々と目に飛び込んでくる現象のことだ。

 

隣家のガーデニングのすばらしさに気が付いたり。

普段から見ているはずの看板に、しゃれたキャッチフレーズが書かれていることを発見したり。

 

ちょっと新鮮で、結構嬉しい発見がある。それが、カラーバス効果である。

 

 

 

2015年秋。

 

私も、ある種のカラーバス効果を味わっていた。

 

私の着眼点は、色ではなかった。毎日、あるキーワードに基づいて周りを見ていた。「このキーワードに注目してみよう」だなんて、自ら意識したわけではなかった。気が付いたら、そのキーワードに関わるものばかり見ていた。

 

そのキーワードとは。

 

……「デブ」である。

 

ああ、言葉を選ばずにはっきり言ってしまったことをお許し願いたい。

 

ただ、間違いなく2015年秋、私(30歳・独身・デブ)は「カラーバス効果」ならぬ、「デブバス効果」を味わっていた。

 

街を歩いていると、太った人ばかりに目が行った。

 

ベルトに肉の載ったサラリーマン。

すっかり涼しくなったのに汗の止まらない営業マン。

ヒザを痛めてしまいそうな重量感のおばあちゃん。

一緒に歩く友達の引き立て役になりかねない女子大生。

力士。

相撲部屋入りを勧められそうな小学生。

 

特に、同年代のぽっちゃりした女性を見付けたときには、無意識に自分と比べていた。

 

そして。

 

「あの人よりはまだ、私の方が痩せてるよね~!」と。

 

……。

 

我ながら、何をしているのだ……。

 

今、振り返れば、バカな話であるが、そのころの私にとっては切実な問題であった。

 

28歳ごろから太り始めて、既に数年が経とうとしていた。

 

仕事が夜遅くまであり、夕食は毎日23時過ぎ。その時間から自炊をする元気も出ないし、外食をするにも、飲み屋かラーマン屋か牛丼屋しかないから、どうしても高カロリーな食事になる。

 

かと言って、朝も早い生活だったから、菓子パン(これも高カロリー!)で済ませることが多かった。さらには、栄養ドリンクをほぼ毎日飲んでいるような状態だった。

 

これは、太って当然の生活である。

 

そこで「仕事も忙しいし、しょうがないよね~」と開き直れていれば、良かった。太っていても、私は私だし!」と思える強さがあれば、良かった。

 

私には、そういう風に思えるような、たくましさや伸びやかさがなかった。人間としての強さがなかった。

 

日々どんどん太っていく自分が嫌で仕方なかった。それなのに、デブ化する流れから抜け出す手がかりが見付からなかった。

 

食べながらよく思っていた。

……だって、食べなくちゃ倒れる、と。

 

倒れて仕事に穴をあけるのが怖くて、食べる。

 ↓

食べた当然のむくいとして太って、落ち込む。

 ↓

外見面で下がった自己肯定感を補うために、さらに働く。

 ↓

忙しい中で倒れて仕事に穴をあけるのが怖くて、食べる。

 

そんなループにハマり込んでいた私は、せめてもの救いを求めて、こう願っていたのだ。

 

「自分よりも太った人を見付け、自分はまだマシだと思いたい!」

 

この思いはすっかり強迫観念と化していて、私はデブ発見器と化していた。

 

自己肯定感が下がれば下がるほど、発見器の精度は上がった。コートでごまかした隠れ肥満だって、すぐ気付いた。

 

……もちろん、そんなの誇れることではない。

 

ふと冷静になって、自分のやっていることを自覚したときの絶望感がひどかった。

 

「そんなことをしても、何にもならない」というだけでない。気付けば、私は、人を、デブかデブでないかで見る癖がついていたし、デブな自分が嫌だからって、他人のことまでおとしめるようなことをしていたのである。

 

私は、外見だけでなく、内面まで、あさましく見苦しい人間になっていた。卑屈で、失礼で、どうしようもないヤツになっていた。

 

 

そのことを痛切に自覚したところで、ようやく表題の件である。

 

 

当時、「デブバス効果」と同時に、私に作用していたのは「ダイエットバス効果」であった。

 

ダイエット食品。

サプリメント

フィットネスクラブ。

ホットヨガ教室。

エステ。

 

ありとあらゆるダイエットサポート商品・サービスの広告に目が行くようになっていた。そして、その中でも圧倒的なインパクトを残していたのが、ライザップであった。

 

値段を知ったとき、ビビらなかったと言ったらウソだ。

……でも、それだけの値段だからこそ、申し込んだという節もある。

 

それくらいの覚悟でやらないと、私は変わらないと思った。

 

本気で、変えたいと思った。

 

それは、体型もだが、心も。

 

このままあと数十年間、卑屈に、デブ発見器をやり続けることを考えると、絶望したのだ。

 

 

幸い、やり方が合っていたらしい。

 

ライザップに通った2ヶ月間で9kg痩せた。その後4ヶ月間、糖質制限の食生活を続けたら、さらに6キロ痩せたので、計15kg痩せたことになる。

 

とは言え、身長154.5cmで体重56kgなので、まだぽっちゃり体型なんだろうと思う。

 

でも、大きな変化だった。

何せ、ウエストが20cm以上落ちたのだ。

 

ある日、マルイでスーツを試着したら、Mサイズが入った。

 

そのスーツを買って帰る道すがら、涙が止まらなくなった。

 

私をむしばんでいた「デブバス効果」は消えた。

 

 

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そんな私は最近、和装にハマっている。

 

着物を普段から着るようになると、街なかで出会う着物の女性を見ずにはいられない。

 

着物と帯の色合わせ。

素材と柄でかもし出す季節感。

帯揚げや帯締めでのアクセント。

年齢や雰囲気に合わせての着方の工夫。

 

生きた実例は本当に勉強になるし、単純に見ていて楽しい。

無意識に目が行ってしまう。

 

デブ発見器だった私は「着物発見器」になった。

 

 

カラーバス効果は、ポジティブに使ってこそ、楽しい。

 

片岡秀太郎さん 上方歌舞伎にかける思い『上方のをんな:女方の歌舞伎譚(しばいばなし)』

 

上方のをんな: 女方の歌舞伎譚

上方のをんな: 女方の歌舞伎譚

 

 

関西歌舞伎の低迷期の苦労話(今の片岡仁左衛門さんと、「歌舞伎がやりたい」と泣いた話など)から、「上方歌舞伎塾」や「平成若衆歌舞伎」などの取り組み、後進育成にかける思いなどを語っていらっしゃいます。

 

読んでいて涙が出てきそうになる一冊なのですが、これは、ご本人のお人柄はもちろん、聞き書きご担当の坂東亜矢子さんの腕前によるところもあるのでしょう。ありがたいお仕事です。

 

「昔から関西の歌舞伎界は、実力主義といわれてきました。逆に、江戸は血統主義と申しますか、御曹司に大きな役をどんどん演らせて、いい役者に育てていくという継承の仕方ですね」

 

「関西では今も、実力主義の気風が残っているんですよ。息子の愛之助が、座頭をさせていただいている『永楽館大歌舞伎』の昨年のチラシを見ていて、『上方やなぁ』と思いました。生まれながらの御曹司は、中村壱太郎くんだけ。上方は、血でなく芸でつながっているんですよ。」

 

 

三代狂言女方、また、上方らしい演目の女方について語るページも充実しています!

 

四谷怪談を少し特別なスタイルで。【歌舞伎音楽家達による「四谷怪談」】@劇酒場 忠臣蔵

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本日は、【歌舞伎音楽家達による「四谷怪談」】という企画にお邪魔してきました。

 

四谷怪談のお岩さんの人間ドラマの部分(死んで幽霊になる前の部分)を、ググッと1時間ほどにまとめての上演。

 

三味線は杵屋五七郎さん、唄は和歌山富朗さん。ベテランのおふたりの演奏(なんと、富朗さんはお岩さんも熱演!)と、「劇酒場 忠臣蔵」の店主で俳優の松元さんや、俳優の三木さんの演技が加わっての熱演でした。

 

杵屋栄之丞先生による作品解説も絶妙な塩梅で、単にあらすじを追うダイジェストといった感じではなく、ひとつの作品として楽しめる作りになっておりました。

 

伊右衛門や伊藤家に裏切られ、切迫してゆく。そんな、お岩さんの悲痛な境遇や心境を、黒御簾音楽とともに、見事に切り出して見せていただきました。

 

鶴屋南北の本、三味線音楽、役者のお芝居。それぞれの力をしみじみ感じた時間でした。

  劇酒場『忠臣蔵』 - 基本データ | Facebook

 

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松元 信太朗 - 昨晩の「四ッ谷怪談」の動画の一部です! 貴重な経験をさせて頂き嬉しい限りです!... | Facebook