中村屋 門出二人桃太郎記念 限定酒(大信州)が届きました
今日、こんなものが届きました。
中村屋 門出二人桃太郎記念 限定酒です。来年(2017年)2月、歌舞伎座の二月大歌舞伎で、中村勘太郎(波野七緒八)くん、中村長三郎(波野哲之)くんが初舞台をつとめることを記念したお酒ですネ。
こちらのお酒を知ったきっかけは、中村屋の錦秋特別公演2016でした。
◆錦秋特別公演に関する自分のtweetまとめ
【中村屋錦秋特別公演 文京昼の質疑応答①】「勘九郎さんの足を踏む音が印象的なのですが……」「祖父の芝翫に習ったのですが、かかとで直接踏むと膝をいためるので、つま先、土踏まず、かかとの順におろす。それを一瞬でやる」
— 吉田裕子(国語講師) (@infinity0105) 2016年11月10日
【中村屋錦秋特別公演 文京昼の質疑応答②】「これまでやった役でまたやりたい役、初役で挑戦したい役」に対する勘九郎さんの答え。「鏡獅子は大切にしていきたい。やりたいのは道成寺。今度五人で踊りますが。歌舞伎座閉場のときの道成寺は、舞台観ないで、奈落で舞台の音に合わせて踊っていました」
— 吉田裕子(国語講師) (@infinity0105) 2016年11月10日
【中村屋錦秋特別公演 文京昼の質疑応答②】「これまでやった役でまたやりたい役、初役で挑戦したい役」に対する七之助さんの答え。「年齢によってそれぞれの状況で演じられるから、今までやった役はまた改めて演じてみたい。初役で挑戦したいのは、八ツ橋、揚巻。立女形といわれる人の役」
— 吉田裕子(国語講師) (@infinity0105) 2016年11月10日
【中村屋錦秋特別公演 文京昼の質疑応答③】「七之助さんの色気は……」「芸の肥やしの話が問題になっていますが、僕は無いと思うんです。昔は吉原に行くのとかも、人や仕草の観察の意味があったけれど、今はただの女遊び。諸先輩の真似が、僕の体を通して発揮されるから、僕の色気という風になる」
— 吉田裕子(国語講師) (@infinity0105) 2016年11月10日
【中村屋錦秋特別公演 文京昼のトーク】廓噺山名屋浦里の話。勘九郎さんが「古典になってほしいですね」と言ったら、七之助さんが「なるでしょう」と。七之助さんの楽屋に、中村壱太郎さんや中村児太郎さんが来て「自分も山里やりたい」と言ってくれたのが嬉しかった、ぜひ、やって欲しい、と。
— 吉田裕子(国語講師) (@infinity0105) 2016年11月10日
【中村屋錦秋特別公演 文京昼のトーク】真田十勇士の話。初演の時には観に行かなかったという七之助さんですが、今回は観に行かれたそう。勘九郎さんがずっと出ずっぱりで大変そう、と(笑)
— 吉田裕子(国語講師) (@infinity0105) 2016年11月10日
【中村屋錦秋特別公演 文京昼のトーク】最近、七之助さんが、狂言師の三宅さん誘われて、初めてプロレス(DRAGON GATE)を観て、面白かったそうです。そしたら、勘九郎さんが「俺のテリトリーにようこそ」という感じでおっしゃっていました。
— 吉田裕子(国語講師) (@infinity0105) 2016年11月10日
七之助さんの汐汲は、衣装の変化に加え、汐汲みかご、手拭い、三蓋傘など、道具にも変化があって、観ていて楽しかったな。切ない歌詞だと思うので、後で調べてみたい。女伊達で勘九郎さんの女形、初めて拝見して新鮮だったなぁ。楽しそうに踊られるのがとても好きだった。
— 吉田裕子(国語講師) (@infinity0105) 2016年11月10日
会場でも申し込みを受け付けていたのですが、私はその場ですぐ申し込んだのではなく、11月12日に放送されたフジテレビの密着番組を見ての申し込みでした。
中村屋のドキュメンタリーを見た勢いで、門出二人桃太郎限定仕込み清酒を申し込む。こういうとき、人は、物以上に物語を買うのだなぁ、と実感する。
— 吉田裕子(国語講師) (@infinity0105) 2016年11月12日
この日本酒のラベルを取っておいたら、何十年後かに「私はこの二人の初舞台も観ててね、そのときの記念のお酒も買ったんだけどさ」という話ができるかと思うと、今から楽しみ。
— 吉田裕子(国語講師) (@infinity0105) 2016年11月12日
まだ飲んでいないので味のご報告はできませんが、取り急ぎ、ラベルなどの感じが伝わればと思い、ブログを書きました。
さて、ラベルが上手く剥がせるかどうか……。
長唄「岸の柳」 歌詞と現代語訳 ”筑波根の姿涼しき夏衣 若葉にかへし唄女が……”
長唄「岸の柳」
明治6(1873)年
作詞 柳屋梅彦
作曲 三代目 杵屋正次郎
【本調子】
筑波根(筑波嶺)の姿涼しき夏衣
若葉にかへし唄女が
緑の髪に風薫る柳の眉のながし目に
その浅妻をもやひ船
君に近江(掛詞:逢ふ身)と聞くさへ嬉し
しめて音締めの三味線も
誰に靡くぞ柳橋
糸の調べに風通ふ
岸の思ひもやうやうと届いた棹に
【三下り】
家根船(屋根船)の簾(すだれ)ゆかしき顔鳥を
好いたと云へば好くと云ふ
鸚鵡返しの替唄も
色の手爾葉(てには)になるわいな
しどもなや
【本調子】
寄せては返す波の鼓(つづみ)
汐のさす手も青海波(せいがいは)
彼(か)の青山の俤(おもかげ)や
琵琶湖をうつす天女の光り
その糸竹の末長く
護り給へる御誓ひ
げに二つなき一つ目の
宮居も見えて架け渡す
虹の懸橋両国の
往来絶えせぬ賑ひも
唄の道とぞ祝しける(歌詞は三味線文化譜から)
現代語訳
【本調子】
夏の筑波山の眺めは涼しげで
ここ両国・柳橋の芸者衆も
見た目に涼しい単衣(ひとえ)の着物に衣替え
若葉色の単衣に着替えた芸者は
つややかな緑の黒髪と
さわやかな柳の眉で
流し目で船に乗る様は
まるで近江・琵琶湖の浅妻船の風情だね
「近江(おうみ)といえば、
君に逢う身(おうみ)と聞くのも嬉しい」とは
しっかりと音締めの良い三味線を鳴らす姉さんが
柳橋の柳のように
誰になびいているのかしらん
三味線の調べのなか風が吹き
岸にいる男の想いもやっと棹の先に届いて
【三下り】
屋根船のすだれ越し
顔も気になる美しい人を
好きだと言えば好きだと返す
鸚鵡返しの替手のように
色恋の基本通り
あら困ったことで
【本調子】
寄せては返す波の音はまるで鼓
汐の姿もちょうど青海波の舞のようで
三味線の音色はあの青山の琵琶を髣髴とさせ
琵琶湖に輝く弁財天の光を思わせる
その演奏は末永く世をお守りくださるご誓願
弁財天といえば
実にまたとない
本所一ツ目弁財天の宮居も見えるところに
掛け渡される虹の曲線の両国橋のあたり
往来の絶えない賑わう道も
唄の道の栄華のようと祝い事を言おう
授業で『羅生門』を扱ったから感想を140字で書いてみた
タイトルの通りです。
一通り読んだ後、生徒達に感想を書いてもらおうことにしたのですが、あまり字数を多くすると、そのマス目を埋める方法論のほうに意識が向きそうな気がしたんです。
作文術を見たいというよりは、イマの高校生の率直で素朴な感想を聞いてみたいと思い、140字制限で、感想文を書いてもらうことに。
そこで、自分自身も140字感想文を書いてみることにしました。
『羅生門』の老婆や下人の行為をどうとらえるか。これを考えるに当たって浮上してくるのが、悪は絶対的なものか、相対的なものか、という問いだ。一律に「何々をしたら悪です(さらにはどれくらいの悪です)」ということになるのか、それまでの経緯や社会背景による検討・情状酌量の余地があるのか。
— 吉田裕子(語彙力強化ドリル10/8発売) (@infinity0105) September 29, 2016
髪を抜かれている死体の女が、生前やっていたこと(蛇を干し魚として販売)は、現代的に言えば、不当表示であり、詐欺だ。受け手は気づかず、味が良いと喜んでいた、という点は、数年前の食品偽装問題に通じて面白い。企業は安全面で問題はないし、受け手が満足しているのだから良いとしていたわけだ。
— 吉田裕子(語彙力強化ドリル10/8発売) (@infinity0105) September 29, 2016
『羅生門』のような、自身の生命のかかった場面に直面したことはないが、「自己の社会的生存」と「道徳的善悪」との葛藤の経験はある。業務上の指示や目標が、顧客を半ば騙すようなものであったり、顧客から搾取したりする内容だったときだ。指導効果上疑問のある講座を薦め、無益な課題を課すとか……
— 吉田裕子(語彙力強化ドリル10/8発売) (@infinity0105) September 29, 2016
生存自体が目的になるのははなはだしく生物的な感じ。人間はその先を考えるように思う。「なんのために生まれてなにをして生きるのかこたえられないなんてそんなのはいやだ!」とアンパンマンでも歌われる。悪事を働かなければ自分の生存が保たれないとき、「何のために?」という問いは生じるだろう。
— 吉田裕子(語彙力強化ドリル10/8発売) (@infinity0105) September 29, 2016
芥川龍之介は『今昔物語集』に、「生ま生ましさ」「野性」の美しさがあると語った。机上で、観念的なことを操るインテリとは違う、たくましく生き市井の人間。頭でっかちになりがちな帝大生の芥川にとって、新鮮だったのだろうな。哲学・倫理学の理論から導かれる善悪とはまた別の善悪観がここにある。
— 吉田裕子(語彙力強化ドリル10/8発売) (@infinity0105) September 29, 2016
『羅生門』の風景描写から考えてきたのが、当時の夜の深さ。視覚的な闇の暗さはもちろんのこと、人の寄り付かなくなった羅生門の周りには、今からは想像し難い静寂が訪れたのではないか。そのとき、雨の音はひどく抑圧的に響く。服を剥ぎ取られた老婆が裸の身体を起こして覗き込むのは、まさにその夜。
— 吉田裕子(語彙力強化ドリル10/8発売) (@infinity0105) September 29, 2016
盗人にならんとしていた下人は「雨夜の羅生門で死人の髪を抜く老婆」に、瞬時に憎悪の感情を燃やすように、「悪」らしきものへの嫌悪感というのは、生理的、脊髄反射的なものなのだろう。諸々の炎上とか袋叩きとかも、大半は、自分を棚に上げた本能的嫌悪感では? それを理論武装するのはタチが悪い。
— 吉田裕子(語彙力強化ドリル10/8発売) (@infinity0105) September 29, 2016