懸想文

国語講師 吉田裕子のエッセイ、歌舞伎観劇メモ、古典作品や長唄・端唄の現代語訳など

23「庭のままゆるゆる生ふる夏草を分けてばかりに来む人もがな」(和泉式部集)

和泉式部集』23番


庭のまま ゆるゆる生ふる 夏草を 分けてばかりに 来む人もがな

 

(にはのままゆるゆるおふるなつくさをわけてばかりにこむひともがな)

 

 

庭のかたちのままに生え広がる夏草。それをかき分けるようにして会いに来るような人がいたらなぁ。

 

 

夏草の生命力と、自分を恋うて逢いに来る男の人の情熱とを対照させるような詠みぶりが面白い和歌です。

 

この夏草は観念的なものではなく、眼前の景であったのではないかと思います。目の前の一つ一つの景物に自身の恋を連想するのが、和泉式部らしさではないでしょうか。

どんつくに関する覚え書き、歌詞(神楽諷雲井曲毬(かぐらうたくもいのきょくまり))

2017年の三月大歌舞伎 昼の部、坂東巳之助さんらの「どんつく」を観に行くので、その前にちょっと下調べをしたことのメモ。

 

  • 初演は弘化3年1月(1846年)、江戸市村座
  • もともと日本橋を背景にしていたが、現在では、亀戸天神を舞台にするようになった。
  • 同じく常磐津の「乗合船」同様、街頭演芸者を中心にしつつ、町家の風俗を描いた舞踊劇。
  • 「商売商売」と言ったのを、どんつくが「ハイ、売商(ばいしょう)売商」と受けて曲芸披露が始まる。

 

曲芸披露の部分の歌詞

千早振りにし昔より、神をいさめの曲太鼓、八百(やお)や万(よろず)の、手をつくし、音(ね)も冴え渡る庭神楽、これも神力(しんりき)加護毬(かごまり)や、来た来た来たもてこいな、よいよい、肩に受け身の流し持ち、ヨイサ、抜けつ潜(くぐ)りつ、ひょいと止まった柳に燕、籠(かご)に手毬のしゃんとこい、落ちたら恥よ、落としたら拾う袋もち。

 

どんつくの唄のいわれの部分の歌詞

そさまええなら、おんらもええ、それで世の中どんとよい、どんつくどんつくどんつくどんつくどどんがどん。あれも見さいな、あいあい山の彼方から、そさま手管に乗せられて、うからうっ惚(ぽ)れこんで、おんべえのりすぎたアえ、ほんねほんねよ、銭落としたで溝さえ陥(はま)ってうッばしる、こいつもどんつく邪慳な邪慳な、人さ誹(そし)ろと馬の耳に風よ、すいせすいせ、ああ、どんつくどんつくどんつくどんつくどん、サア、ちげねのねのねの真中(まんなか)じゃ。

 
締めくくりの歌詞

千代の縁(えにし)を結びの神の、仲人島台、梅松竹(うめまつたけ)の、杯は、嬉しい仲じゃないかいな。悪魔降伏千代万歳(ちよばんぜい)、めでたき春と祝しける。

 

参考リンク

www.kabuki-bito.jp

 

www2.ntj.jac.go.jp

blog.goo.ne.jp

www.sanspo.com

 

 

前回の上演時

www.kabuki-bito.jp

三人形(歌舞伎舞踊、常磐津)の歌詞

三人形(みつにんぎょう) 世界大百科事典 第2版

歌舞伎舞踊の曲名。常磐津。三変化所作事《其姿花図絵(そのすがたはなのうつしえ)》の一曲。1818年(文政1)3月江戸中村座初演。作詞2世桜田治助,作曲岸沢右和佐。振付初世藤間勘十郎。演者は3世坂東三津五郎中村芝翫(のちの3世中村歌右衛門),5世岩井半四郎。江戸吉原仲の町で,丹前武士,丹前奴,傾城の3人が踊る。この3人の華美な風俗を人形に見立てて呼んだ作品で,古風な丹前ぶりが特徴。【如月 青子】

 

〽昔を今に筆の跡、今を昔の風流に、
よくも写して俳優(わざおぎ)に、
真似た土佐絵の出立ち栄え、
極彩色もかくやらん。

 

(上手に丹前、真ん中に傾城、下手に伊達奴。元禄風のこしらえでせり上がる。)

 

〽花前に蝶舞う紛々(ふんぷん)たる、
雪か桜の山ならで、
豊芦原(とよあしはら)と粋な世に、
世辞で固めて手くだでついて、
わけ吉原と夕暮に、
よしや男と名も立髪の、
腰巻羽織大小も、
白きを伊達な富士筑波、
紫匂う置頭巾、
東丹前寛濶(かんかつ)に、
出立つ出立つその風俗も、
それさそれさそんじょ夫(それ)さまに見しょうずもの、
やれやれ、様が六方振りなら、振りなら、
やっちゃして込め、よんやサ。

 

(傾城出る)

 

〽道のほとりの二本柳(ふたもとやなぎ)、
風に吹かれてどちらへなびく、
思う殿御の方へなびこよな、
往(ゆく)さ来るさの恋の仲の町。

 

(丹前・奴が自分をアピールするような台詞を言った後、廓(曲輪)の由来を語り始める)

 

庄司甚内(しょうじじんない)御免を受け、
初めて廓を立てられたり、
廓とは御客の来る故に、
和すやわらぐの心にて、
廓とこそは名乗りたり。

 

(傾城「ホホ大尽舞を見イさいな。その次の大尽」)

 

〽禿が肩に山寺を、
諷(うら)うやぼ赤さんが、
あか旅人の井もいてとけて、
春風誘う土手ぶしも、
合の手残るすががきに、
一夜明くれば松飾り、
軒の月床し、
芸子揃いの唄の声、
あいの押えの拳酒(けんざけ)に、
一けん二つ、三なん四つの相の手に、
五つリウチエエこいの、
大酒にしょんがいな。

 

(奴出て)

 

〽障子明ければ、
差し込む夏の月涼し、
灯すまいぞえ蝋燭を、
闇になったらとぼそぞえ、
一丁も二丁も三丁も、
四丁も五丁も六梃も、
オヤどうしょうぞいな、
エエ蝋燭をしょんがいな。
てんてつとんと打ち込んで、
こちは馬道、跡にもお武家
我らおしきかヤレコレちっくり、
アイタシコ、面白や。

 

(三人、うちわ太鼓を持ち、振り合って、傾城・丹前、前へ出て)

 

〽人の心を汲みて知る、
浅草川の早き小舟は、
浮気の浪に打ち寄する、
首尾という字のうつつなき、
誓文誓文、埒も乱れて、
忘れ草の一花(ひとつばな)、
心へ憎いこと聞いた、
夜すがらも、それも御身のたのしみなれば、
よしそれとても歌にさえ、
誠尽くして神かけて、
儘(まま)になる日をいつかはと、
待つに曲輪の憂き勤め。

 

(傾城振りあって、奴出て)

 

〽見るに奴は口あんごり、
おららもこれから彼めがところへ、
イヤ待て暫し、
わが心、猶も心の浮かるる所は何処だんべえ、
ここだんべえ、
今町の茶屋衆のよね衆は、
つるつるりんでんでんでん、
網を曳く、柏崎とよあら浜宮川、
漁師の根元(こんげん)、
さってもすなどり面白や。

 

(また三人になり)

 

〽サアサア面白くなって参りました。
イヤとても遊ぶならこんなんめり、
浮世の憂さの捨所、
太鼓末社が、手を揃え、
さんさ時雨か、
茅野の雨にトウ来ましてドン。
音もせで濡れかかる、
しょんがいな、トウ来ましてどん、
せて来てナア、
せて来て様(さま)よ、
エエせいて来る濡るるかしょんがいな、
酒に浮き立つ水鳥を
かりにし曲に引き連れて、
喜見城(きけんじょう)なる楽しみは、
風情ありける次第なリ。

 

(三人よろしく居並び、頭取出て「先ず今日は是ぎり」。)

 

 

名作歌舞伎全集〈第19巻〉舞踊劇集 (1970年)

名作歌舞伎全集〈第19巻〉舞踊劇集 (1970年)