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懸想文

国語講師 吉田裕子のエッセイ、歌舞伎観劇メモ、古典作品や長唄・端唄の現代語訳など

太宰治『富嶽百景』から、富士山への評価など

読書メモ 近代文学 太宰治

 

富嶽百景・走れメロス 他八篇 (岩波文庫)

富嶽百景・走れメロス 他八篇 (岩波文庫)

 

太宰は、その、思春期を引きずったような感受性(今だと「中二病」と評されてしまうのかもしれない)により、富士山の定番の景色を嫌います。

井伏鱒二の紹介で、彼が滞在していた御坂峠。そこから見える富士山は、富士三景*1ともいわれる絶景です。

その富士を捉えて、こう評すのです。

あまりに、おあつらいむきの富士である。まんなかに富士があって、その下に河口湖が白く寒々とひろがり、近景の山々がその両袖にひっそり蹲って湖を抱きかかえるようにしている。私は、ひとめ見て、狼狽し、顔を赤らめた。これは、まるで、風呂屋のペンキ画だ。芝居の書割だ。どうにも註文どおりの景色で、私は、恥ずかしくてならなかった。

とはいえ、富士山を常にけなしている訳ではなく、十国峠から見た富士山はこう讃えています。

はじめ、雲のために、いただきが見えず、私は、その裾の勾配から判断して、たぶん、あそこあたりが、いただきであろうと、雲の一点にしるしをつけて、そのうちに、雲が切れて、見ると、ちがった。私が、あらかじめ印をつけて置いたところより、その倍も高いところに、青い頂きが、すっと見えた。おどろいた、というよりも私は、へんにくすぐったく、げらげら笑った。やっていやがる、と思った。人は、完全のたのもしさに接すると、まず、だらしなくげらげら笑うものらしい。全身のネジが、他愛なくゆるんで、之はおかしな言いかたであるが、帯紐といて笑うといったような感じである。


この記述を見ていて、ふと連想したのが、甲子園。

打たれたときのピッチャーは、たいてい、呆然としたり、悔しそうにしたりしています。でも、あまりに強烈に打たれたとき、笑ってしまっているピッチャーっているんです。

あれは、ヤケクソになって笑っているのではなく、頼もしい打者の見事な打撃に「敵ながら天晴れ」と感動したことから来る笑いではないかと思っています。


ところで、太宰の『東京八景』という自伝的短編に、今や芥川賞作家となったピース 又吉直樹さんが、

平凡な風景も思い出と重なると絶景になる。

という帯を寄せています。

太宰にとっては、富士山も、その時々の思い出や心境によって意味付けが変わるものでした。

三年まえの冬、私は或る人から、意外の事実を打ち明けられ、途方に暮れた。その夜、アパートの一室で、ひとりで、がぶがぶ酒のんだ。一睡もせず、酒のんだ。あかつき、小用に立って、アパートの便所の金網張られた四角い窓から、富士が見えた。小さく、真白で、左のほうにちょっと傾いて、あの富士を忘れない。窓の下のアスファルト路を、さかなやの自転車が疾駆し、おう、けさは、やけに富士がはっきり見えるじゃねえか、めっぽう寒いや、など呟きのこして、私は、暗い便所の中に立ちつくし、窓の金網撫でながら、じめじめ泣いて、あんな思いは、二度と繰りかえしたくない。

茶店の老婆は気の毒がり、ほんとうに生憎の霧で、もう少し経ったら霧もわれると思いますが、富士は、ほんのすぐそこに、くっきり見えます、と言い、茶店の奥から富士の大きい写真を持ち出し、崖の端に立ってその写真を両手で高く掲示して、ちょうどこの辺に、このとおりに、こんなに大きく、こんなにはっきり、このとおりに見えます、と懸命に註釈するのである。私たちは、番茶をすすりながら、その富士を眺めて、笑った。いい富士を見た。霧の深いのを、残念にも思わなかった。

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(私もこのお盆休みに河口湖を訪れたのですが、残念ながら、こんな感じでした。)


「結構でございます。」母堂は、品よく笑いながら、「私たちも、ごらんのとおりお金持ではございませぬし、ことごとしい式などは、かえって当惑するようなもので、ただ、あなたおひとり、愛情と、職業に対する熱意さえ、お持ちならば、それで私たち、結構でございます。」

 私は、お辞儀するのも忘れて、しばらく呆然と庭を眺めていた。眼の熱いのを意識した。この母に、孝行しようと思った。

この『富嶽百景』には、太宰が見合いをするくだりが収められています。師匠の井伏鱒二の世話による縁談ですが、太宰にほとほと愛想の尽きた実家は、結婚に際しての経済的支援はしないと言ってきました。

困った太宰が、正直に、先方に打ち明けたのが上の場面です。母堂というのは、見合い相手のお母さんのことです。

ほろりとする、良いシーンです。

そして、その直後。

甲府へ行って来て、二、三日、流石に私はぼんやりして、仕事する気も起らず、机のまえに坐って、とりとめのない楽書をしながら、バットを七箱も八箱も吸い、また寝ころんで、金剛石も磨かずば、という唱歌を、繰り返し繰り返し歌ってみたりしているばかりで、小説は、一枚も書きすすめることができなかった。

「もう、太宰ったら……‼」と、やきもきしてしまうところ。

引用文中の「金剛石も磨かずば」というのは、日本の古くからの歌なのだそうで、以下のような歌詞です。

金剛石も磨かずば 玉の光はそわざらむ
人も学びてのちにこそ 真の徳はあらわるれ
時計の針のたえまなく めぐるがごとく時のまの
ひかげおしみて励みなば いかなる業かならざらむ

「才能がある人だって、研鑽しなければ、輝くことはできない」という内容で、現在、宝塚音楽学校の入学式でも歌われている歌なのだそうです。「分かっているなら、書いてよぉ……‼」と突っ込みたいところですが、それもまた「太宰らしさ」でしょうか。


そんな人間・太宰のありようは、自伝的な小説を通しても知ることができますが、以下の2冊も面白かったです。

妻から見た太宰と、太宰の友人・知人宛の書簡。 

回想の太宰治 (講談社文芸文庫 つH 1)

回想の太宰治 (講談社文芸文庫 つH 1)

 

 

愛と苦悩の手紙 (角川文庫クラシックス)

愛と苦悩の手紙 (角川文庫クラシックス)

 

 

*1:御坂峠、西行坂、花水坂