懸想文

国語講師 吉田裕子のエッセイ、歌舞伎観劇メモ、古典作品や長唄・端唄の現代語訳など

歌舞伎 金閣寺(祇園祭礼信仰記)あらすじ・名ぜりふ 三姫のうち雪姫の活躍

あらすじ

松永大膳久秀は足利将軍に謀反を企て、将軍の母・慶寿院を金閣寺の二階に幽閉している。その天井に竜を描く話を口実とし、大膳は、雪舟の孫・雪姫をくどく。竜を描くか、自分の愛人になるか、と迫るが、雪姫にはすでに狩野之助直信という夫がある。その夫を殺すことをちらつかされ、雪姫は大膳に従う覚悟をする。

 

そこに現れた此下東吉が機知を見せ、大膳の臣下に加えられる。

 

竜を描くにも手本がないと言う雪姫に対し、大膳が刀を抜くと、庭の滝に竜の姿が現れる。その不思議な刀は、雪姫の家の宝。父・雪村が殺されて奪われていた倶利伽羅丸であった。大膳が父の敵(かたき)であることを知った雪姫は大膳に斬りかかるものの、桜の木に縛り付けられてしまう。その目の前で、大膳は、雪姫の夫・直信を処刑場へと引っ立てるのであった。

 

雪舟の故事を思い出した雪姫は、爪先で桜の花びらを集めて鼠を描く。するとたちまち、本物の白鼠が現れて、縄を食いちぎる。

 

そこに東吉が現れ、大膳から取り返した倶利伽羅丸を雪姫に与え、夫の救出に向かわせる。

 

さらに東吉は主人・小田春永の命令通り、慶寿院を救出。大膳に対し、自分が真柴久吉であることを名乗って戦場での再会を約束する。

 

印象的な名ぜりふ

【大膳】コリャ雪姫、そちが夫直信めは詰牢(つめろう)の苦しみ。それに引きかえ、舞い歌わせて奔走するも、この天井に墨絵の竜を画(か)かせんため、二つには我が閨(ねや)の伽(とぎ)をさそうばかり。サア、直信にかわり、墨絵の竜を画く心か、但し我に従う所存か。どうじゃどうじゃ。 

 

【雪姫】たとえこの身は刻まれても、不義はかならず致すまじと女子の嗜み、わらわばかりか夫まで牢舎とはお情ない。かかる憂目を見んよりも、いっそ殺して下さりませ。

 

【大膳】直信を殺しともなくば、雲竜を画くなりと、抱かれて寝るなりと、そちが心次第、直信めを殺そうと生かそうと、とっくりと思案して、色よい返事聞くまでは、蒲団の上の極楽責め、サア、雪姫、声はりあげて歌え歌え。

 

【雪姫】[大膳に身を任せる決心をして]ほんに昔の常盤の前、夫の敵(かたき)清盛に、身を任せし例(ためし)もあり、それは子ゆえ、わらわに子とてはなけれども、大切なお主のため、さしあたる夫の命、そうじゃそうじゃ。 

 

【雪姫】[引っ立てられる夫を見て]科もない身を刃にかけ、跡に残って何とせん。一緒に行きたい、死にたいわいな。

 

【雪姫】妾(われ)も血筋を請けついで、筆は先祖に劣るとも、一念は劣りはせじ。[縄が切れて]ヤア嬉しや、縄が切れたか。ムム、足で鼠を書いたのが、縄を切ってくれたかいのう。この上は片時(へんじ)も早く夫の命、オオ、そうじゃ。

 

参考リンク

enmokudb.kabuki.ne.jp

blog.goo.ne.jp

www.eigeki.com

 

役者の芸談

五代目中村歌右衛門「雪姫は武家育ちではありませんが、雄々しいうちにも極めて淑やかな上品さを保たねばならず、情事にも通じている女ですから十分に色気を見せる役です」

 

なお、このあらすじ・名ぜりふは次の本をもとに制作しています。(せりふの繰り返し記号部分は書き改めています。)

名作歌舞伎全集〈第4巻〉丸本時代物集 (1970年)

名作歌舞伎全集〈第4巻〉丸本時代物集 (1970年)

 

 

 

本朝廿四孝あらすじ(十種香・奥庭=狐火を中心に) 歌舞伎の三姫 二十四孝の趣向 名台詞

あらすじ

武田信玄上杉謙信は厳しく対立していたが、両家ともに、将軍・足利義晴暗殺の嫌疑をかけられる。そこで、三年間休戦して「真犯人を探し出せなかったら、子供の首を差し出す」とまで宣言する。しかし、真犯人は見付からず、武田勝頼・長尾景勝に切腹の命が下る。勝頼は恋人・濡衣の目の前で切腹したが、実はこの勝頼は幼少時からすりかえられた偽物で、本物の勝頼は蓑作という名で生き延びていた。


長尾家の息女・八重垣姫は、両家和睦のため、勝頼との結婚が決まっていた。その勝頼が死んだと聞き、ひたむきに回向をしていた。

 

そこに現れたのが、濡衣とともに、宿敵長尾家にもぐり込んでいた蓑作である。八重垣姫は蓑作を一目見て、絵姿の勝頼に似ている彼にすがりつく。別人だと冷たくあしらわれるが、八重垣姫はあきらめず、濡衣に仲介を頼む。濡衣は「諏訪法性の兜(武田の家宝で、今は長尾家にある)を盗んで誓紙にせよ」と無茶を言うが、その言葉でますます、蓑作が勝頼であることを確信した八重垣姫に対し、いよいよ濡衣も、蓑作が勝頼であると打ち明け、勝頼と八重垣姫は抱き締めあう。

 

実はその一連の会話を謙信が聞いており、謙信は勝頼暗殺を企て、蓑作(=勝頼)を塩尻使者として行かせる。それを悟った八重垣姫は勝頼にそのことを知らせようとするが、諏訪湖には氷が張って船が出せない。そこで諏訪法性の兜を身に着けると、諏訪明神の狐の加護で、八重垣姫は狐憑きの身となって湖を渡り、勝頼に急を知らせるのであった。

 

印象的な名ぜりふ

【語り】回向しょうとてお姿を画には書かしはせぬものを、魂返す反魂香、名画の力もあるならば、可愛いとたった一言の、お声が聞きたい聞きたいと、画像(えぞう)の傍(そば)に身を打ち伏し、流涕こがれ見え給う。

 

【八重垣姫】[蓑作を見かけ]ヤア、我が夫(つま)の勝頼さま。

 

【八重垣姫】[濡衣に仲立ちを頼み]サア、見初めたが恋路の始まり、後ともいわず今ここで。

 

【語り】許嫁ばかりにて枕かわさぬ妹背仲、お包みあるは無理ならねど、同じ羽色の鳥翅(とりつばさ)、人目に夫(それ)とわからねど、親と呼びまたつま鳥と呼ぶは生ある習いぞや。いかにお顔が似ればとて、恋しと思う勝頼さま、抑(そも)見紛うてあらりょうか、世にも人にも忍ぶなる、御身の上といいながら、連れ添うわたしに何の遠慮、ついこうこうとお身の上、明かして得心させてたべ、それも叶わぬ事ならば、いっそ殺して殺してと、縋りついたる恨み泣き、勝頼わざと声あららげ、

 

【八重垣姫】[勝頼暗殺計画を知り]翅(つばさ)が欲しい羽根が欲しい。飛んで行きたい。しらせたい。

参考リンク

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劇評家の作品評

深窓に育った高貴の女に大胆極まる言葉を吐かせるところに、一種のおもしろさがある。(戸板康二、名作歌舞伎全集)

 

八重垣姫の恋と、その恋の一念からおこる奇蹟の物語である。秋十一月、信濃路の大名館の奥深く、一人の少女の恋が燃え上がる。その恋を歌舞伎では、実に美しい型と芸によって立体化している。舞台に香が漂う八重垣姫の居室があらわれるが、そのむせかえるような香の匂いの感じが、歌舞伎の恋の感性である。(渡辺保、歌舞伎手帖)

 

 

なお、このあらすじ・名ぜりふは次の本をもとに制作しています。(せりふの繰り返し記号部分は書き改めています。)

 

名作歌舞伎全集 第5巻 丸本時代物集 4

名作歌舞伎全集 第5巻 丸本時代物集 4

 

 

数十万円のライザップ申し込みを決心するまで

「カラーバス(color bath)効果」というものを皆さんはご存知だろうか。

 

「今日は赤を意識しよう」などと決めて一日を過ごすと、色が切り口になって、日ごろ注意していなかったものが、次々と目に飛び込んでくる現象のことだ。

 

隣家のガーデニングのすばらしさに気が付いたり。

普段から見ているはずの看板に、しゃれたキャッチフレーズが書かれていることを発見したり。

 

ちょっと新鮮で、結構嬉しい発見がある。それが、カラーバス効果である。

 

 

 

2015年秋。

 

私も、ある種のカラーバス効果を味わっていた。

 

私の着眼点は、色ではなかった。毎日、あるキーワードに基づいて周りを見ていた。「このキーワードに注目してみよう」だなんて、自ら意識したわけではなかった。気が付いたら、そのキーワードに関わるものばかり見ていた。

 

そのキーワードとは。

 

……「デブ」である。

 

ああ、言葉を選ばずにはっきり言ってしまったことをお許し願いたい。

 

ただ、間違いなく2015年秋、私(30歳・独身・デブ)は「カラーバス効果」ならぬ、「デブバス効果」を味わっていた。

 

街を歩いていると、太った人ばかりに目が行った。

 

ベルトに肉の載ったサラリーマン。

すっかり涼しくなったのに汗の止まらない営業マン。

ヒザを痛めてしまいそうな重量感のおばあちゃん。

一緒に歩く友達の引き立て役になりかねない女子大生。

力士。

相撲部屋入りを勧められそうな小学生。

 

特に、同年代のぽっちゃりした女性を見付けたときには、無意識に自分と比べていた。

 

そして。

 

「あの人よりはまだ、私の方が痩せてるよね~!」と。

 

……。

 

我ながら、何をしているのだ……。

 

今、振り返れば、バカな話であるが、そのころの私にとっては切実な問題であった。

 

28歳ごろから太り始めて、既に数年が経とうとしていた。

 

仕事が夜遅くまであり、夕食は毎日23時過ぎ。その時間から自炊をする元気も出ないし、外食をするにも、飲み屋かラーマン屋か牛丼屋しかないから、どうしても高カロリーな食事になる。

 

かと言って、朝も早い生活だったから、菓子パン(これも高カロリー!)で済ませることが多かった。さらには、栄養ドリンクをほぼ毎日飲んでいるような状態だった。

 

これは、太って当然の生活である。

 

そこで「仕事も忙しいし、しょうがないよね~」と開き直れていれば、良かった。太っていても、私は私だし!」と思える強さがあれば、良かった。

 

私には、そういう風に思えるような、たくましさや伸びやかさがなかった。人間としての強さがなかった。

 

日々どんどん太っていく自分が嫌で仕方なかった。それなのに、デブ化する流れから抜け出す手がかりが見付からなかった。

 

食べながらよく思っていた。

……だって、食べなくちゃ倒れる、と。

 

倒れて仕事に穴をあけるのが怖くて、食べる。

 ↓

食べた当然のむくいとして太って、落ち込む。

 ↓

外見面で下がった自己肯定感を補うために、さらに働く。

 ↓

忙しい中で倒れて仕事に穴をあけるのが怖くて、食べる。

 

そんなループにハマり込んでいた私は、せめてもの救いを求めて、こう願っていたのだ。

 

「自分よりも太った人を見付け、自分はまだマシだと思いたい!」

 

この思いはすっかり強迫観念と化していて、私はデブ発見器と化していた。

 

自己肯定感が下がれば下がるほど、発見器の精度は上がった。コートでごまかした隠れ肥満だって、すぐ気付いた。

 

……もちろん、そんなの誇れることではない。

 

ふと冷静になって、自分のやっていることを自覚したときの絶望感がひどかった。

 

「そんなことをしても、何にもならない」というだけでない。気付けば、私は、人を、デブかデブでないかで見る癖がついていたし、デブな自分が嫌だからって、他人のことまでおとしめるようなことをしていたのである。

 

私は、外見だけでなく、内面まで、あさましく見苦しい人間になっていた。卑屈で、失礼で、どうしようもないヤツになっていた。

 

 

そのことを痛切に自覚したところで、ようやく表題の件である。

 

 

当時、「デブバス効果」と同時に、私に作用していたのは「ダイエットバス効果」であった。

 

ダイエット食品。

サプリメント

フィットネスクラブ。

ホットヨガ教室。

エステ。

 

ありとあらゆるダイエットサポート商品・サービスの広告に目が行くようになっていた。そして、その中でも圧倒的なインパクトを残していたのが、ライザップであった。

 

値段を知ったとき、ビビらなかったと言ったらウソだ。

……でも、それだけの値段だからこそ、申し込んだという節もある。

 

それくらいの覚悟でやらないと、私は変わらないと思った。

 

本気で、変えたいと思った。

 

それは、体型もだが、心も。

 

このままあと数十年間、卑屈に、デブ発見器をやり続けることを考えると、絶望したのだ。

 

 

幸い、やり方が合っていたらしい。

 

ライザップに通った2ヶ月間で9kg痩せた。その後4ヶ月間、糖質制限の食生活を続けたら、さらに6キロ痩せたので、計15kg痩せたことになる。

 

とは言え、身長154.5cmで体重56kgなので、まだぽっちゃり体型なんだろうと思う。

 

でも、大きな変化だった。

何せ、ウエストが20cm以上落ちたのだ。

 

ある日、マルイでスーツを試着したら、Mサイズが入った。

 

そのスーツを買って帰る道すがら、涙が止まらなくなった。

 

私をむしばんでいた「デブバス効果」は消えた。

 

 

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そんな私は最近、和装にハマっている。

 

着物を普段から着るようになると、街なかで出会う着物の女性を見ずにはいられない。

 

着物と帯の色合わせ。

素材と柄でかもし出す季節感。

帯揚げや帯締めでのアクセント。

年齢や雰囲気に合わせての着方の工夫。

 

生きた実例は本当に勉強になるし、単純に見ていて楽しい。

無意識に目が行ってしまう。

 

デブ発見器だった私は「着物発見器」になった。

 

 

カラーバス効果は、ポジティブに使ってこそ、楽しい。